2016年12月14日水曜日

「絵」について


今週のお題:「絵」について

こんばんは。今回のテーマは「絵」ということでいくつかご紹介したいと思います。

まずは、仏教には素晴らしい教えと共に素晴らしい芸術作品がありますが、そのうちのひとつに「来迎図」があります。

ちなみに「来迎図」とは…

世界大百科事典 第2版の解説

らいごうず【来迎図】            

浄土教美術の中では最も重要な主題の一つで,その大部分は阿弥陀如来の来迎を説く阿弥陀来図であるが,ほかに弥勒菩薩や十一面観音などの来迎図もある。また絵画として表現されるもののほかに彫像によって表現される来迎像もある。来迎図の教理的根拠は《無量寿経》所説の阿弥陀仏の四十八願中の第十九願において,大衆を救済するために臨終まぎわの往生者のもとに阿弥陀仏が諸尊を従えて来迎するという誓約にもとづくものであるが,さらに《観無量寿経》ではこれをいっそう発展させ,大衆の機根に応じて上品上生より下品下生にいたる九品(9通り)の往生すなわち来迎のあり方を説いている。

 
ご紹介するのは、京都・永観堂禅林寺所蔵の『 国宝 山越阿弥陀図』です。
 


平安時代末期~鎌倉時代 12~13世紀の作品です。
『国宝山越阿弥陀図』は、現存する山越阿弥陀図の一つとして、最古の優れた作品でもあります。
実は、この阿弥陀如来の両手には五色の糸をつけていた孔が残っています。また、阿弥陀の白毫(びゃくごう)が深く数枚の裏打紙に達するまでえぐりとられています。
白毫が深くえぐりとられている理由は、ここに水晶などの珠を差し込んだか、もしくは、この部分に絵の裏から灯火をちらつかせて、斜め向き来迎図に必ず描かれている白毫から出る光線を、実際の光で放射し、臨終を迎えた往生者を随喜させたのではないか、と推察されています。さらにこの図は、阿弥陀如来の左右に、縦の折り目の跡が二本残っていることから、もとは屏風仕立てであったと考えられています。

下記の来迎図は上記の来迎図を当時の屏風仕立てに龍谷大学が復元したものです。



よくよく見ると、阿弥陀如来の両手から五色の糸が下がり、屏風の前にいるであろう病者が触れることができるようになっています。
迷いや苦しみの山々がありながらも、その山越(やまごし)に、阿弥陀仏が今、病者をそのまま救おうとしていることがあらわされているようです。白毫から放たれたと考えられる水晶の光は、恐らく、次第に意識が遠のく病者を照らし、安心を与えたのではないかと推測されます。



次に来迎図とは異なる芸術作品である絵画をご紹介します。その絵画がこちらです。


            作品名:『インターチェンジ』  制作年: 1955年
【作品の説明】
抽象表現主義の画家で、具象とも抽象ともつかない表現と激しい筆触が特色である20世紀のオランダ出身の画家、ウィレム・デ・クーニングの作品。
「アクション・ペインティング」の代表的作家であり、抽象表現主義の創始者の一人として、20世紀美術史の上に重要な位置を占めています。
戦後、デ・クーニングのように戦争に幻滅し、傷ついた芸術家たちも立ち直ろうとしていました。デ・クーニングの作品は、その新しい世界の醜い現実を表現しています。

タッチや色彩が面白い作品ですが、実はこの作品、 336億円 します。
調べた時点では世界で最も高額な絵画でした。すごいですね。


最後に、「絵」といえば忘れられない作品があるのでご紹介したいと思います。
2012年に話題となった「酷すぎる修復が行われたキリスト像」を覚えていますか?
斬新な修復だったので世界中で話題となりました。それがこちらです。


・左が元のキリスト像    ・真ん中が修復前のキリスト像  ・右が修復後のキリスト像

スペイン北東部ボルハの教会の柱に100年ほど前に描かれたキリストのフレスコ画「Ecce Homo」の修復を市と教会から許可を得て、善意から絵を修復したセシリア・ヒメネスさんでしたが、修復なのか否かで批判もされました。
しかし、幸か不幸か話題になったことで「世界最悪の絵画修復」と揶揄された作品を一目みようと人口わずか5000人の小さな町に、5万7千人もの観光客が集ったようで、思わぬ経済効果をもたらしました。
その結果、壁画を元に戻さないでほしいという嘆願書まで殺到しました。
ちなみに、オリジナルの画家の子孫は不満があるようです。お気持ちはわかります。

ところで、修復されたセシリアさんですが2013年に個展をひらかれました。
好評だったようですが、そこで風景画も含め、展示されたのがこちらの作品です。


キリストです。
大変失礼ながら想像していたよりもお上手でした。
ワインのラベルにもなったそうです。日本に輸入されているのかはわかりませんが、お目にかかりたいですね。


以上、「絵」についていくつかご紹介しましたが、最初の来迎図には臨終を迎える病者と救いたいという如来の思いが込められているように感じ、次の高額絵画には時代の流れや勢い、憤りなどを感じ、最後の修復画には様々な事情はあるけれど、一時でも、多くの人が教会に訪れる、神と出会う機会になったとも感じました。
「絵」に込められた願いや思いを感じるとともに、遠い過去の方がみたであろう作品に時代をこえてあえるというのはすごいことだと思いました。












 
 
 




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